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2008年2月

百六十二話・女のカラダの不思議『なぜ、女は挿入でオルガスムスに達しないのか?』

(小説編)女は、彼氏に笑顔を作って見せた。空虚な心をごまかすように、微笑んで見せた。_1_2

 だって彼を愛しているのだ……寂しさに堪えかねて、しばしば妄想に駆られる、そんな自分がいけないのだ。

 妄想それは、もっと激しいSeXを心に描くこと。

 過去に付き合った男は、欲求の強い『好き者』だった。一度では満足できずに、一晩のうちに三度、四度と求めてきた。すぐに立つのも脅威的だったが、しつこさも驚異的だった。

 はじまりの愛撫も徹底していたし、終わった後のクンニリングスは失神しかけるまで止めなかった。

 だから、女はとにかく何度でもいった。フラフラになるまでいった。クリトリスの愛撫でもいったし、挿入でもいった、とにかく『いきっぱなし』のSeXだった。

 けれども、その男は女一人では満足できないほど欲求が強かった。交際相手が自分一人ではないと知って、すぐに男と別れた。そして今の彼氏――『マジメで、満たされない男』と出会った。

 悲しくも、今の彼氏とのSeXでは、挿入でいくことができなかったのだ。

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(解説編)とにかくSeXにおいて『中でいく』ことが問題にされる。

 この『中でいく』という問題でさえ、女と男がイメージしていることにギャップがあるようでならない。

 男、とくに性科学者が考える『中でいく』というのは、膣内を刺激し、それによって『膣内がオルガスムス』に達するとを意味しているようだ。

 つまりGスポットの有効性を確かめたいということなのだろう。せっかく発見したGスポットだから、その性能を調べ上げなければ決着がつかないのだろう。

 女には、クリトリスがあり、そして膣がある。とくに、膣は目で確かめることができない。男には、摩訶不思議な構造物なのだ。

 心理学の大家・フロイトに始まり、クリトリスでいっているのか、膣でいっているのか、男たちはそれに膨大なエネルギーを注いできた。

 ところが女にとっては、Gスポットは、男が提唱した“神話”にすぎない。

 そもそも女が気にかけているのは、クリトリス(外)なのか、膣(中)なのかではなく、SeXのさい挿入で、いけるかいけいかにあるのだ。挿入によって、確実なオルガスムスに達せるか否かということなのだ。

 それだけ多くの女が、挿入ではいけずに、寂しい思いをこらえているのだ。

 女はヴァギナのどの部分でいっているのかなど、ほとんど気にかけない。たとえば、男は噴射すればすなわち絶頂であるが、その際に息子の、どの部分が最も感じているかなど問題にされることがない。であるのに、女のことに限って、どの部分でいっているのかを、なぜしつこく調べ上げるのだろう。

 科学でさえも、男主体であり、男の興味で、女が解剖されているのだ。

 女自身、どこでいっているかなどわからない。男の作った『Gスポット神話』に右往左するにはするが、結局、知覚できないのだ。

 女が知覚できないのに、それを調べる根拠は何なのだろう?

 仮にデータで結論を出せたとして――

 データを拠り所に女を刺激してみたとて、女は、きまってこう答えるのだ。

「どこでいってのかわかりません。いってるような、いってないような、そんな感じです」

 より良きSeXライフを女に、というなら問題にするのは「何処で」ではなく、「いけるいかいけないか」それを論じ、研究すべきなのだ。

 女はオナニーでなら確実にいける。クリトリスを刺激すれば一発だ。ところがSeXとなると、だんぜん曖昧になる。

『膣への挿入は、女の感受性を鈍らせ拡散する』これが結論なのだ。Gスポットがあるかないか、その何倍も明瞭な結論なのだ。

 なぜ、このような皮肉なことが起こったか?

 それは最も敏感な部分――クリトリスが外に突出し、男の一物と交合する場所から外れてしまったことにある。

 神は、女をSeXではいかせないように創られたというわけだ。ならば、それはなぜか?

 女は常に欲求不満で寂しくなるように設計されているのだ。

 もし、一回のSeXで、女が必ずオルガスムスに達し、満足できたなら? 

 人類は多様性を失い、そしてまた人口も増えなかっただろう。

 女は、男に抱かれれば抱かれるほど寂しくなり、新たなSeXが欲しくなるように設計されているのだ。

 ヒットしたスナック菓子の味付けのようなものだ。ヒットの裏技は、薄めの味付け。欲求不満を起こさせる味覚だからこそ、もっともっとと刺激を求め「やめられない止まらない」で、気がつくと袋は空っぽ。

 一部の科学者は、男こそがSeXを終えた後から欲望にかられるフラストレーションの動物だ云々と説ていいる。これも、まったく男主体である。

 男がそうであるなら、SeXで確実にオルガスムスに達するわけではない女たちは、それ以上に寂しくなっているのだ。

 と――科学者に「いちゃもん」をつけても始まらない。

 では、どうすべきか? 長くなったので次回に続くである。

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百六十一話・女のオルガスムス『女は、なぜ男が変ると別人のように変るのか?』

(小説編) 女は、可憐な声で「またね」と言った。そして、眉を垂らして、儚(はかな)げな表情をして見せた。

 そうして彼氏の車を降りて、マンションの自室へ戻った。2DKのドアを閉めるなりに、女は溜息を漏らした。

 上品なデート。コンサートの後は、イタリア料理店でお食事。そして彼氏は女をホテルに誘い、優しいSeX。時間がきたなら、彼氏は明日があるからと女を送り届ける。礼儀正しくマジメな彼氏。結婚相手には悪くないのかもしれなかった。

 しかし、会えば会うほど、寂しくなってしまう。彼氏が優しくすればするほど、物足りなくなってしまう。

 誰が悪いのでもなかった。女のカラダに焼きついたオルガスムス、きっとそれが女を寂しくしているのだ。

 女のカラダには、過去の激しいSeXの記録が刻み込まれていたのだ。

 過去の男には未練は微塵もないが、『あの感覚』には未練が残った。_1

『あの感覚』の誘惑に浸りたくて、女は鏡の前でハダカになった。そして、引き出しの中から、一括(くく)りの革紐を取り出した。

 過去の男がしたように、革紐でカラダを縛った。ちぶさから腰、そして太腿へ革紐を絡めて、縛り上げた。

 肉に革紐が食い込み、ちぶさは赤みが差して艶々になった。鏡の中の自分が、自分を濡らして感じさせる――不思議で淫靡な感覚に酔いしれた。

 さきほどした彼氏とのSeXより、ずっといやらしくて気持ち良かった。

 それでも女は、今度彼氏に会ったら、可憐な声で言うのだろう。「あなたに会えなくて寂しかった。今日も優しくしてね」そして、儚げに眉を下げてみせるのだろう。

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 女は不可思議な動物だ。じつに様々な顔を隠し持っている。

 そして男の好みに応じて、新しい顔を取り出すことができる。女は男が変ると、別人のように容貌を変える。清楚な女。派手な女。髪型から服装、そして顔つきや声色まで自在に変える。

 たとえば(着物ブログで頻繁に取り上げている)流行画家・竹久夢二の女、『お葉』(およう)などは、その典型だ。

 夢二の描いた女の特徴のうち、垂れた眉と、しどけない表情は、お葉をモデルにしたものだ。_1_2

 可憐でロマンチック、大正浪漫の典型である夢二の女。夢二の恋人として、モデルとして、可愛い女の顔を見せる『お葉』。けれども、お葉には別の顔があった。十四歳ほどの頃には、別の画家の情婦として、責め絵(今ならSm画)のモデルをつとめたのだ。

「縛って写生するには絶対いい容貌」と評価されたお葉。それが夢二の恋人となり、可憐な女として描かれたのだ。(写真はお葉。竹久夢二写真館「女」より)

 男が変ると、女は別人のように変る。それはなぜか?

 女には才能があるのだ。男の好みに応じて顔を取り出せるよう、様々な顔を隠し持っているのだ。女は、多才なのだ。たとえ次々に男を変えたとしても、全ての顔を使い切ることなどない。

 だから女は、いつでも寂しがっているのだ。

 男は、女の隠された顔を少しでいいから、覗いてみるべきなのだ。ひょっとすると、女は可憐で淡白な女から、淫靡で激しい女に豹変するかもしれないのだ。

(女がつづる『現代・性愛指南書』男の作法十五)

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著者:岩崎 るりは

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『ぱいずリとマザコンの関係』百六十話

(小説編) 女の胸が家具に触れた。そのとき、ふと、ニップル(ちくび)に熱い感覚が沸き起こった。

 その熱い感覚は、ニップルを硬直させ、そしてヴァギナを熱く締め付けた。

 月のものが近づくと、きまってカラダが敏感になった。胸は張り、ニップルも大きくなって、些細なことに反応した。

 女はたまらなくなってソファに腰掛け、シャツの前をはだけ、胸をさすった。さすりながら、ニップルを人差し指で転がした。

 ニップルは葡萄色になり、痛いくらいに感じた。転がすたびに、痛みと心地よさが攪拌(かくはん)され、恍惚とした心地になった。

 触れてもないのに、ヴァギナが微かな水音をたてた。同時に、あの匂いを思い出した。

 あの匂い――胸で男を受け止め、オルガスムスに辿り着いたとき。谷間で男を揉み解す行為が、あまりに淫靡で、ヴァギナに触れてもないのに女はいった。そして、男もそのままいった。

 谷間を、ミルク色の液体が濡らした。そして、ツンとする匂いが立ち上ってきた……女は、ニップルを転がしながら、男を胸でいかせた記憶を手繰り寄せた。

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(解説編)女は、とても気まぐれだ。気持ちも、ニップルの感じ方も、猫の目のように七変化(へんげ)する。

 とはいえ、ほんとうに気まぐれかといえば、そうでもなく、一定の周期に沿って、変化しているのだ。

 排卵期を過ぎたあたりから、女の五感は最大に敏感になる。オナニーをしても、すぐにいってしまう。洋服の上から、ニップルがドアに擦れただけで、感じてしまう。

 胸がSeXの感覚器であるのは、人間のメスだけの特権だ。そして、胸でオスをいかせるのも人間のメスだけの特権だ。

 フランスのSeXスタイルでは、『ぱいずリ』のことを『公証人のネクタイ』と呼ぶ。

 誰もができるスタイルではなく、『二階正面席が満員』でないといけないと云う。つまり、“ぼいん”でないとできないワザなのだ。

 日本でも、江戸の指南書に書かれてはいるのだが、明瞭な名前をもたない。

 フランス製のしたぎは、カップが大きく豊富なのと同様に、フランスの『ぱいずリ』は、名前とバリエーションが豊富で、別名で『うば』と言い、そしてひざまずくと『愛の巣』となり、ベンチで寝そべってすると『田舎風』、そして六&九の姿勢で挟むと『ちちはさみ』となる。

 男が、『ぼいん』の女に遭遇したさいには、きまってリクエストする技だ。そして、男は恍惚感のあまり、ヴァギナの存在を忘れてしまう。

 そもそも男は、母親という『オチチを持った女』が育てたモンスターなのだ。“マザコン”という、可愛く切ないモンスターなのだ。

 母親は、とくに息子を溺愛する。それは、父親の娘に対するもの以上だ。何しろ父親に、オチチはなく、いくら溺愛しても、娘にミルクを吸わせることができない。

 ところが母親と息子は、ミルクという絆で深く結ばれている。味覚や触覚で、息子はとことん『オチチを持った女』の甘(うま)みを記憶するのだ。

 すべての男はマザコンである。そして、『ぱいずリ』でいくことを密かに夢見ている。

 白馬にまたがった王子様も、光源氏も、鞍馬天狗も、スーパーマンも、じつは皆、ミルクをおねだりするマザコン男だと女は覚悟するべきなのだ。

 

(女がつづる『現代・性愛指南書』女の作法) 

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百五十九話『ラビアの美学』ヴァギナの形に見る日本人のSeX観

 顔に個性があるように、女のアソコにも個性がある。

 日本では、理想的な位置についた美しいヴァギナを『上品』と呼んだ。上品というのは、前に位置する『上付き』のヴァギナのことで、それは、花魁(おいらん)の大切な資質だった。

 男たちは、ヴァギナ(開=ぼぼ)の位置、そして色や匂い、そしてアンダーヘアの濃さや生え方などを、事細かに品定めをした。

 ところが、花びら(ラビア)の大きさや形状については、ほとんど意識されなかった。

 男本位の『開(ぼぼ)の品定め』であるから、挿入口の位置や角度、そして締まり具合など、男にとって心地よいヴァギナであるかどうかが問題だったのだろう。

 ラビアは、男のオルガスムスには直接関与することがないので、自然体でかまわないということなのだろう。

 自然体――それこそが『和』の精神である。

 話は飛躍するが、たとえば陶器なら、歪みや窯変(変色)、手の痕跡などがあったほうが味があり、良しとされる。

 いっぽうで西洋の陶器は、左右対称で「完全」でなければならない。人間が作る器でありながら、機械が作ったように『絶対的』な形と色でなければならないのだ。

 じつは、ラビアについても、まったく同様なのだ。

 人間のカラダの一部の、女のヒラヒラした柔らかな組織が、左右同じであるわけなどない。なのに、西洋文化の中では、左右が対称でないことが、しばしば女の話題になる。そしてその大きさでさえも、平均的でないことが悩みになると云う。

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“完全無欠”の左右対称な、そして平均的な大きさの花びらにするための整形手術が数多く行われていると云う。

 西洋では、アンダーヘアは手入れされて普通であるので、それで花弁の形状が気になるのかもしれないが、いずれにしても、左右同じででないと安心できないというのは、日本人には不可思議である。

 ずらりと並んだ洋食器。一見、高級品といった感じもするが、しかしながら、それは金太郎飴を切ったとき以上に画一的な眺めである。

 いっぽうで、日本の陶器。どれ一つも同じものはなく、まさしく自然体なのだ。

 ラビアに象徴されるように、日本のSeX観は『自然体』。

 むやみに欲望を抑えるのではなく、女と男が思うままに愛し合う。大雑把で楽天的。まぁ、それで「ええじゃないか」、それが日本のSeX観なのである。

 

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百五十八話・日本伝統のSeX「四拾八の手」のウソ&ホント『女がホントにいけるのか?』

 女というものを露出させ、性の真実を伝えてきた。ときに私自身が被写体になり、何世紀にも渡って黙秘されてきた女の真実を、このブログで“ご披露”してきた。

 なにしろ、女は男によって創作された“フィクション”でしかなかったから。

 実際の女とは異なる、性の対象としての理想の女が作られ、ビデオなどで商品化されてきた。そしてその『商品化された女』が一人歩きし、現実の女もそうであるかのように勘違いされてきた。

 女たちは、男の期待を裏切らぬよう、『商品化された女』を真似続けてきた。

 真似れば真似るほど男は悦んだし、女は反対に寂しくなった。

 伝統のSeXのスタイルにしても、男が作ったフィクションであることには変わりがない。

 日本の伝統の四拾八の手のうち、正面から交合する『正常・位』を、江戸では『本手』と呼んだ。(そのうち『網代本手』については『コラム・其の一』を参照)

 本手のうちで、女が、男の腰に足をまわして、しがみつく形を『揚羽本手(アゲハホンテ)』と云う。

 まわした女の足が、アゲハ蝶のように見えるというのでこの名がついた。または、『足絡み』とも云う。

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『揚羽本手』に似た、フランスのスタイルに『下半身抱擁』というのがあるが、こちらは、なんとも味気ない名前である。

 このスタイルでは、女の腰が比較的自由になる。よって、女は腰を浮かせて揺すり、男の一物を中へ吸い込むようにすることで、深いオルガスムスが望める云々と、江戸の指南書には解説されているようだ。

 けれども女としては、イマイチ、ピンと来ない。

 足を男の腰に絡みつかせ、腰を浮かせて揺する――それは、サルわざであって、サル同然に小柄で柔軟でないと不可能なのだ。そもそも、足を男の腰に絡みつかせたなら、そのぶんだけヴァギナを絞りにくくなる。

 ヴァギナを絞れば絞るだけ、そのぶんだけ女はいきやすくなるし、同時に男も発射しやすくなる。そのためには、太腿と下腹の筋肉をグイを締めることなのだが、それができそうにないのだ。

 結局、フランスの四拾種の『手』よりは、はるかに優れた日本の四拾八種の『手』にしても、やっぱり男が作った「理想のスタイル、フィクション」でしかないということなのだ。 

 女は、男が作ったフィクションを否定することなく、ウソをついてでも男を悦ばせようとする。女は、男に媚を売らずにはいられないのだ。

 男に媚を売り、気持ち惹きつけようとするのは、動物のメスとしての本能であり、『正しい行動』だ。けれども、その本能が女を寂しくしているのだとしたら、まったく皮肉なことだ。

 日本伝統の性愛とは――イヤラシイ行為を可笑しみ楽しむ、そればかりではなく、女と男がオルガスムスを共有し、心を通わせることに真意があるのだが……。

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猫のなるほど不思議学 知られざる生態の謎に迫る (ブルーバックス)

著者:岩崎 るりは

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コラム・日本の体位『四十八手』とフランスの『四十手』を比べたら? 其の一『本手』

 体位のバラエティ。日本では、江戸時代にそのスタイルが完成したと云う。

 人間が『正常』位と呼んでいるものは、他の四足歩行の動物には不可能な、一部のサル(ボノボ)と人間だけに見られる、まったくアブノーマルな行為である。

『正常』位を、江戸では『本手』と云う。

 四つがらみ、4ツ手組みいう別名があるように、女が仰向けで股間を開き、男の挿入を待ち、四つ組みになる。

 統計上では、女が最も好むスタイルとされる。

 江戸の粋人は、本手をさらに細かく“分類”した。

 ごく普通に、『本手』を組み、女が足首を男の太腿で交差し、しがみつく形になる。そうして腰をグイと入れ、締め付ける。これを本手の中でも、『網代本手(あじろほんて)』と云う。

 これとほぼ同スタイルのフランスのスタイルを『宣教師の体位』と云う。

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 なぜ、宣教師なのか?

 それは、キリスト教(カトリック)で、唯一、人間に許された、清らかなスタイルだったからだ。宣教師が奨励する、正統派の体位ということなのだ。

 普通にこの体位をとれば、女が完全受身になる。オルガスムスがないとみなされた西洋の女に相応しい、男の本意の体位なのだ。

 『本手』VS『宣教師の体位』見た目には同じようだが、中身は同じではない。

 一見、下になり受身になりがちな女。しかし、網代本手のように、女は足首で男をがんじがらめにし、みずから深く挿入するよう、腰を入れることになる。

 日本では、けっして女のオルガスムスを否定しなかったのだ。

 江戸では、性戯を事細かに書いた春本などを、夫婦でながめ、それに刺激されながら『男女和合』に勤(いそ)しんだのだ。 

 ただし――体位を真似るのもいいが、あまりに技に気をとられていると、女は乾いてしまうので要注意である。

 江戸川柳のように――

『無理に春画を真似をして筋違(すじちがい)』

 あまりに凝った日本の体位は、真似るよりも、その曲芸的なスタイルを、絵で見て楽しむ、そういう意味合いが強かったようだ。

 和の“伝統”の素晴らしさ。それは、性を自然に受け止め、楽しむ術を知っていたことにあるのだ。

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百五十七話『SeXは心の処方箋』医療として行われたヴァギナマッサージ(男の作法十四)

(小説編)女は、すでに花弁が濡れていた。

 行ってはならない、そう頭ではわかっていても、カラダから湧き出る衝動を抑えることはできなかった。

 男に「いまから行く」とメールをし、下着を選ぶ。その間も、ヴァギナはウズウズとして、どんどん理性を鈍らせる。

 優しい男だった。女より、ひとまわり以上若い平凡な会社員。会社支給の小さなマンションは、整然として居心地がよかった。行けば決まって、とっておきのリーフティを、とっておきのポットで淹れてくれた。

 女のことを、何処の誰なのだと聞くこともない。女が話さない限り、一切、女の身辺を訊ねなかった。だからその男は、女の歳ですら知らない。知っているのは、女のカラダのどこをどうすれば悦ぶか、ただそれだけだった。

 女の仮の宿だった。女が、その男にホンキになることはなかった。誠実な若い男を傷つけてはならない。女はそう自分に言い聞かせていた。

 女には目立