女に「どのようなヴァギナを持っているか?」と聞くのも野暮だし、そもそも女だって答えに困るだろう。自分では良く見えないうえに、他人との比較も困難なのだ。
男に「どのようなヴァギナが好みか?」と聞くほうが、簡単に答えが返ってくることだろう。
顔がいろいろあるように、ヴァギナも画一なわけなく、色、形状、大きさ、位置ともに、人それぞれである。そして美しいヴァギナは、千人に一人。それは、美しい裸体と同様に、希少な存在である。(百三十三話参照)
性科学者も、そのことを認め、著書の中で、白黒のヴァギナ写真を並べて見せたりしている。そこまでで、やめておけばいいのに、ヴァギナの中でも、とくに感受性の強い、クリトリス(核・さね――古典的な俗語)の大きさが測定されている。
その結果は――
日本人は5mm、白人で6,5mm。
男の一物『まら』も、人種によって長さの平均値が異なるが、じつはクリトリス『さね』も同様だったわけだ。クリトリスの大きさを測定したのは、男の一物に対比するものとして、大きさとオルガスムスの強さの関係を探ろうとしたからだ。
研究者のほとんどは男であり、『まら』の大小とオルガスムスの強さには関連がないとわかっているはずなのに、クリトリスを測定するなど、はじめから無駄なことなのだ。
結果は、クリトリスが大きいからオルガスムスが強いのだろうという仮説が立証されることはなく、大きさとクリトリスには関連性がないことがわかった。
ちなみに、色についての俗説は、ただの俗説であって、遊んだ女は色が濃いなどということないのだ。これは、単なる色素の問題であって、顔色や唇の色に個体差があるのと同様である。
★ランキング常時1位★今日も1クリック応援いただけると嬉しいです♪
←恋愛ブログいっぱい♪
このような話を持ち出したのは他でもない。
科学者がそうであったように、男は多くのことを勘違いしている。クリトリスの大きさなど、どうでもよいことであるように、男の『まら』の大きさも、さしたる問題ではないのだ。
大きければ大きいほど女が好み悦ぶ、それが通説のようになっている。けれども、女たちが、そのようなことを気に留めたことが本当にあったのだろうか。古典文学を眺めてみても、そのようなことが話題にされることは、まずなかったことだ。(形については、ときどき見られる)
大きければ、刺激が強いということも無きにしも非ずであろう。けれども、だからといって、それが全てではなく、お互いの相性が大事であるし、何よりも女は、挿入が全てではないのだ(前回を参照)
男の『挿入して発射する』という単純なプロセスを、女に当てはめるから、このような勘違いが生まれるわけだ。
女は、男がどのような一物を持っているかとか、どのようなテクをするとかではなく、どのように素晴らしい時間をすごさせてくれるか、それを気に留めているのだ。女は、とにかく、出会ったときから別れるまでのすべての過程で、とろとろと濡れて感じていたいのだ。
女が気にも留めていないのに、男が一人で、小さいからとコンプレックスを見せたりするのは、興醒め以外の何ものでもない。同時に、ただ大きいのを馬鹿の一つ覚えのように往復運動させるのも、あまりに能がない。女は何よりムードで感じていたいのだから。
最後に、『まら』の大きさや形状について表現した江戸川柳を一つ。
『大小長短か上がり下がりは迷いなり』
大きい小さいとか、名器だとか言うのは、さほど大事なことではなく、お互いが好きあうことの本質ではないのだ――という意味である。
ずいぶん長い間、男は大小を気に留めているということだ。(女がつづる「現代・性愛指南読本」男の作法・其の五)
←★クリック応援今日もありがとうございました。
←恋愛ブログへ♪

★百三十九話・いってないのに「いった」とウソをつく女たちを読む
★このブログをベースに新刊書『True・SeX』(ツゥルーSeX・女と男のギャップを埋める)今春出版予定!
注)本ブログはオリジナルです。写真や文の無断転載を禁じます。(Photo/Furuse Model/luliha)
ケータイ小説・岩崎るりは短編集集英社theどくしょHPからバーコードでアクセスできます。
★般若心経の入門書↓