第五十八話・愛あるセックスのために人間はどうしてきたか「乱交と性技の歴史」
女はベッドの上で、男の背中を見ながら想った。ここに、もう一人の男が現れたとしたら? 二人の男に犯されるように、激しく次から次に攻められたとしたら。いやらしさに徹した、淫らな世界。愛も恋もなく、ただ、性交だけを楽しむ、エクスタシーにまみれた世界。そんなことは自分にはありえない。愛のないセックスなどできるわけがない。そうとわかっているからこそ想像してみたくなる、卑猥な行為のことを。
女は、なぜそのような淫らな想像をしたのかと、その自分を責めた。しかし、原因は自分だけにあるわけではないだろうと思った。脱がせて、濡らして、挿入して、射精する。どこをどう触わるか、どのような順番で体位を変え、フィニッシュに至るか、すっかり“暗記”したセックス。何の努力もなされない、型にはまったセックス。それにうんざりしながら、何も言い出せずにいる自分を責めた。そして、それで女が悦んでいるのだろうと思い込んでいる男を恨んだ。
3Pや4P、さらには乱交、それにスワッピング(カップル交換)を含めた、複数プレー。たしかに、視覚的にも派手で刺激的で、想像する上ではさほどの罪悪感は伴わない。それもそのはず、これらは現代の嘆かわしい風潮というわけではないのだ。古代エジプトにも、旧約聖書の時代にも、そして日本なら奈良時代の絵にも見られる。ようするに、複数のプレーは人類普遍の行為ということなのだ。
猫の場合なら、発情した一匹のメスに数匹のオスが群がる。また、その反対のこともある。複数の相手と交尾したからといって、誰が不平を言うのでもない。母猫が子育てを行う猫の場合、それで有利になっても、不利になることはない。有利――さまざまな遺伝子の組合せをもった、丈夫な子猫が生めるということである。
人間が、いかに知的な動物に進化したとしても、動物本来の欲望を捨てるのは容易なことではなかったらしい。人間は繁殖とセックスを切り離すのに成功し、性交を遊びとして楽しむようになった。しかし、それと同時にセックスにも大脳皮質を使わずにいられなくなった。想像心を駆使して欲情し、また理性でそれを抑え、道徳を学習する。人間は、本能と理性の板ばさみの中にあるのだ。
一人の相手を真剣に愛し、子育てをする。そういう学習をしなければ、猫と大差はなかったのだろう。前述したように、同じ相手では性刺激が減少していくのが当然なのである。それでも愛を貫くために、同じ雌雄でセックスし続けるために、人間はどのように対処してきたか?
人間は、体位や性戯を多様化させ、様々なバリエーションを楽しんできた。フランスでは四十手。インドでは六十四手、日本では、江戸時代におよそ四十八手の体位が“完成”されている。この場合の「手」というのは、相撲の「決まり手」から転じたものだ。四十八という数字は、実際的なものではなく、数多くの決まり手があることを意味していると云う。基本体位とそのバリエーションを含めれば、百種以上が存在しているようだ。
この数字は何を意味しているのだろう。人間の性への貪欲さ、それもあるだろう。そして、じつはそこまで創意工夫しなければ、永遠の愛は営めなかった、そういう証でもあるわけなのだ。
それを知った以上は、男も女も、創意工夫を惜しまずに一つの愛を貫くことはできない、そう覚悟してベッドに横になるしかないだろう。人間が思っているほど「愛あるセックス」は、たやすいことではないのである。人間が、猫のように可愛い動物であれば、たとえ乱痴気をしても、さほど後ろ指を刺されずに済んだのかもしれないが……。(photo/Furuse model/Luliha)
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