第四十八話・日本女性と着物とエクスタシーの深い関係
女は、今日は、着物にしようと思った。大好きだったあの人に、十年ぶりで会うのだ。こんな特別な日は、着物以外のどんな衣服も似つかわしくなかった。もしかしたら……成り行きで帯をほどくことになるかもしれない。そう思ったでけで、女陰(ほと)が濡れてくるようで、くすぐったくて仕方なかった。とっておきの赤い襦袢に袖を通した。もしかしたら、こんな日が来るかもしれないと、アンティークショップで見繕っておいたものだ。お茶会に行くときより、ぐいと襟を抜いて、艶やかに着付けた。
と――着物ばかりを着ている私は、小説の主人公にも、つい着物を着せたくなってしまう。わずか半世紀前までは、女は、皆、着物をきていた。風土と体型に合致した着物を捨て、西洋の真似ばかりをする現代の日本女性。だからこそ、「中でいけない」という嘆きを多く耳にするのかもしれない、ふとそう思い考えてみた。
日本人は欧米人より「淡白」だと思い込んでいるところがあるが、ぜったいそのようなことはない。これは前述した“ノーパンの文化史”にみるように、日本人は、歴史を通じて性に開放的で、たいへん寛大であったのだ。
とにかく日本ほど、性に肯定的で「あけっぴろげ」な国はなかった。たとえば、日本の春画以上に、性器を緻密かつ、誇張して描写したものは世界中を探してもないのだ。しかも堂々と町で売り買いされ、お茶の間レベルで楽しまれた。春画の性器描写の徹底ぶりは世界に誇れるものであるし、また性行為の描写も完全緻密である。さらに女性の「性のメカニズム」についても詳細に解説されており、現在の性科学者も及ばぬレベルなのである。日本人は、元来“好き者”であると思って間違いない。
日本の性文化の源流は、インドにあったようだ。古くインドでは、「性愛」を、人生不可欠の教養とした。宗教、経済、そして性愛、この三つを人生の大切な要素と考え、マジメに学んだのだ。『カーマ・スートラ』も、きわめてマジメな「性学」の本だ。日本の性文化は「性学」というような堅い物ではなく、もっとくだけた、娯楽的な要素が強い。性を後ろめたく、暗いイメージにしたのは、文明開化以降のことで、西洋の真似をしなければならなかった切ない事情があったからだ。
日本の性文化で特徴的なもの、それはなんといっても「オナニー文化」であろう。恥ずべき自慰行為に“市民権“を与え、あからさまに道具を販売し、その楽しみ方を伝授した。しかも当然のように、女のオナニーが絵画や本のなかで描写された。
あらためて日本の衣類――着物を眺めてみれば、女のオナニーを許容し、また、それを美しく見せることにおいて、着物ほど優れたものはないことに気づくだろう。
着物を着なくなった現代の日本人は、いわゆる「ノーパン」で着付ける着物のことを、「裾さえめくれば、すぐにやれる」衣装だと思ってはいないだろうか。それはあまりに安直な考えだ。女は、うなじを見せ、胸元を見せ、そして太腿をのぞかせ、やがて袖を男にからめる。男は、その女の懐に右手を忍び込ませ、左手で太腿を撫でる……と、着物だからこその悠長な前戯ができるのだ。女は、たっぷりの前戯に腰巻まで愛液で濡らし、それで初めて男は、女の裾を開き挿入する……と、これなら、まちがいなく女も「中でいける」のだ。着物を捨てた日本女性は、同時に性の悦びも捨てたのかもしれない、そんなことを思った。
(photo&model Luliha)
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