第六十九話・女をもっといかせるために「平安貴族に見習う」
女は、男が帰るとシャワーをした。愛し合った後の匂い。はじめの頃は、それが愛着のある好ましい匂いに思われた。しかし、それも長続きはせず、体内に残された精液を一滴残らず洗い流したい、そんな気持でシャワーをした。カラダを流してさっぱりしてみると、きまって「あの映画」のDVDが観たくなった。映画――イタリアが舞台の、恋愛物語だった。男優が、女優の耳元でささやく、その言葉ひとつひとつが、うっとりと甘く、ゾクリと刺激的だった。特別なベッドシーンもないというのに、観ているだけで、知らずと、女の花弁(はなびら)が濡れてしまう、そんなムーディな映画だった。
自分の実際のベッドシーンは、さほどのこともなかった。いつも一緒にいるわけでなないので、マンネリというのでもなかった。することをして、男が帰る。そうすると、妙に空っぽな気持になった。だから、知らずと映画が観たくなった。
映画のなかの言葉が、ヴァギナをしっとり濡らす。そして、たまらないほど興奮する。だから、その衝動のままに、女は裸体になって、オナニーをした。太腿にクッションを挟み、ゆっくり腰を動かした。それで物足りなくなると、ベッドの角にクッションをあて、そこにヴァギナを押し付けた。男優のセリフを聴きながら、なんども絶頂感を味わった。少し前に、ホンモノのセックスをしたことなど忘れたかのように、深いオルガスムスに達した。
自分の付き合い方は、きっと『通い婚』というものだ。それなのに、ワクワクすることもなく、セックスもたまらなく良いということもなかった。それはどうしてなのだろう……。女は、男優のセリフを聞きながら、ふと、気がついた。言葉がないからではないか? 映画のシーンのように、言葉巧みにささやかれたなら、同じにセックスをしても、感じ方も変わるのではないか? 男が帰った後も、余韻たっぷりで、空っぽな気持に見舞われないで済むのではないか、そう思った。(※へ続く)
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(※続き→」)通い婚。平安時代の貴族の男女のスタイルである。御簾で隔てられた男女が、手紙をやり取りし、歌を詠み交わすなど、それなりの過程を経てはじめて結ばれる。手紙なり歌なりの言葉の交流があって、そこで心が通じてはじめて、セックスをする。さぞかし、女は熱く燃えたことだろう。なにしろ言葉は、女にとって、どんなテクニックにもまさる“前戯”であるから。
それにしても、日本男性は、いつから言葉を前戯に使わなくなったのだろう。少なくても、平安時代には、映画俳優もかなわぬほど、言葉巧みだったはずだが? 平安貴族は、恋のために時間を費やすことができた。香を焚き染め、衣装を調え、女をいかに「いかすか」のために最善を尽くせたのだから、現代の男に同じになれとは言わないないけれど……せめて、女をもっと感じさせたいなら、「言葉」が女を濡らす大切な前戯であることを頭において欲しいものだ。ホントは日本人の男だって、甘い言葉で女を濡らすことができるはずなのだ。いや、日本人の男だからこそ、ムーディに女をいかせることができるはずなのだ。 (Photo/Furuse Model/Luliha)
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